千羽鶴問題

おはようございます
なんだか色々と考えさせられる内容を見つけました。
某有名な方がTwitterで、被災地に千羽鶴を贈る行為について「無駄である」と厳しく非難していました。
これに対し、ネット上では賛否両論の意見が上がっております。「貰っても役に立たない」「作った人に対して失礼」等々。
カラフルな千羽鶴
私はこのツイートや記事を見るまで、千羽鶴についてそれ程深く考えたことがありませんでした。
そもそも、入院している同級生(小学生ぐらい)に贈るものだと今日まで思っていました。なので、被災地に贈るということに少々驚きがあります。
そこで、色々と考えました。貰った人の気持ちはどうなのか。作った人の思いはどうなのか。
少し調べてみると、こちらの記事が非常に参考になると思いました。
被災地の方からすると、千羽鶴はいらないが率直な気持ちのようです。管理、処分全てに人とお金がかかると。
ですが、作った人は相手のことを思い、良かれの精神で作っているにも関わらず、それを全否定されるのも悲しい話です。
老人ホームで丁寧に作られている方の映像を見て、そう思いました。
でも現地では不必要とされ…でも作り手の気持ちは…と無限に同じ考えが繰り返されます。
千羽鶴を作っている方が悪いとは決して思いません。誰も悪くないのに誰も得をしていない状態が日本の文化として根付いているのかなと。
少し話が変わりますが、ここ数年児童養護施設に寄付をし続けている方がいます。
その方は初め、サッカーボールやバレーボールを寄付されたのですが、少数の養護施設からは「欲しいものが違う。遊び場がないので貰っても困る。」と言われたそうです。
その時に「自分が良かれと思って寄付しても、現地の人の欲しいものとは限らないんだ。結局は自分のエゴだったんだ」と気づかれたそうです。
それ以来、その方は施設にリクエストを聞き、寄付を続けているとのこと。
この考え方に誰もが気づくことができれば、一番望ましい結果が生まれるのかなと感じました。
今回のブログの内容は少しセンシティブな内容になってしまいましたが、皆様にも現状を知っていただきたく、書かせていただきました。
どちらが正しいとか、どちらが間違っている等の意味で書いていませんので、その点はご了承ください。
それでは。
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